教会には、明かり一つもついていなかった。いぶかしむユナン。
けれどこの先にアリアがいる。そう思うと足が先へ先へと動いた。
手入れのされた教会の大きな扉は、軋む音一つなく開いた。
そして祭壇の前へと進むと、暗がりに人がいるのが分かった。
祭壇の後ろのステンドグラスから漏れ入る月明かりに照らされ、
その顔が微かに浮かび上がる。
「……神父……」
上がる息を抑えながら、恐る恐る声をかけてみる。すると。
「ユナンか」
神父のよく通る低い静かな声が聞こえた。
「神父、アリアは……」
言いかけたユナンを制して、神父はそっと無骨な錆びた鍵を渡した。
「地下に」
礼拝堂の奥、隅にある小さな扉を示して、そう短く言う。
神父を一瞥し、ユナンはその扉へと勢いよく向かった。
その後姿を見送りながら、神父は小さく呟く。
「神よ……お許し下さい……」

地下へと続く小さな扉の向こうには、狭い通路に階段がついていた。
入り口に辺りにかけてあった明かりを手に取り突き進む。
下へ下へと駆け下りるうち、次第にすえた臭いが鼻を突くようになった。
目的の場所へは、すぐ辿り着いた。
錆びた鉄格子。光の一筋も届かない真の闇。
凸凹の石造りの壁には、苔のようなものも見える。
その錆びた鉄格子の中、冷たいであろう石の壁に背をもたれて、アリアは座っていた。
「アリア!」
その姿を認めて鉄格子に駆け寄るユナン。
牢の扉には、やはり無骨な旧式の錆びた錠がついていた。
それをさっきもらった鍵で音を立てて荒々しく開けると、
明かりを床に置き急いでアリアの無事を確かめる。
膝をついてアリアの手を取り、体にどこか大きな傷がないか確認した。
アリアは特に縛られたり拘束されたりしているわけではなかった。
「アリア、アリア、大丈夫かい?」
心配そうなユナンに、アリアはゆっくりと顔を向け、そして静かにこう言った。
「……どうして来たの……」
それは尋ねる言葉ではなく、責める言葉だった。
「どうしてって、放っておけないだろう?」
風もないのに明かりが揺れる。
アリアは視線を落とし、冷たく言う。
「言ったでしょう。私はあなたではなく、エドワードを求めていたの」
「俺を仲間にしてくれ、アリア」
アリアの言葉は聞き入れず、ユナンは端的にそう言った。
アリアの目が大きく見開かれる。
「何を……言ってるか分かってるの……?」
驚きの表情でアリアは言う。
ユナンはしっかりとアリアの目を見つめて、言葉を続ける。
「分かってる。俺が、ずっとアリアの傍にいるから。俺は、どこにも行かないから」
また視線を落とし、今度は沈黙するアリア。
「父さんの代わりだって構わない。
 それでもいつかはアリアは俺の事を愛してくれると思うから……
 それに、この場所は父さんに聞いたんだ。
 父さんも、アリアの事を俺に任せるつもりだと思うんだ。だから……」
「エドワードが……?」
アリアは顔を上げ、再びユナンを見つめる。見つめられたユナンは少し苦笑し、そして言った。
「アリアは、俺の事が嫌いかい?」
途端にアリアの両の目から、涙が零れ落ちた。
そのままユナンの肩に手をまわし、そっと抱きしめる。
「ユナン……ごめんなさい、ごめんなさい……」
そう何度も言いながら、アリアは涙を流し続けた。
ユナンも優しくアリアを抱きとめ、子供をあやすようにその背中をさすっていた。
しかし時間はそれほどあるとは思えなかった。
エドワードは、皆が夕食をとっている間に、と言った。
ならばそろそろ見張りか何かが戻ってくるのではないだろうか。
「アリア、急ごう」
そう言ってアリアの腕を解き、ユナンは明かりを手に取る。
「どこへ行くの……?」
ユナンに手を引かれ、牢からやっと出るアリア。
「取り合えず君の屋敷に帰ろう。それから……」
「それから?」
「できたら二人で、あの家で暮らしていきたいけど……」
はっきり言って、さっきまでアリアを助けた後の事など考えている余裕はなかった。
しかし今、実際助け出して、次の問題へぶつかった。
次の行き場所はどこか。
村の人間は当然アリアの屋敷の場所を知っている。
なら逃げたアリアの追っ手が来ないとも限らない。
ならばどこへ行くのか……
「取り合えずここから出よう。あまり時間がないんだ」
そう言ってアリアの手を引いて来た道を戻る。
明かりを地下牢の入り口にまた戻し、そして小さな扉を開ける。
そこから礼拝堂へ駆け出し、二人はステンドグラスの月明かりの中へ出る。
一瞬アリアの足が止まった。
「アリア……?」
それに気付いたユナンも足を止め、アリアの方を振り返る。
ステンドグラスから漏れ入る光では、その表情までは分からない。
瞬間。
「ユナン!」
叫んでアリアはユナンを押しどけた。
「!?」
ユナンは何が起こったのかわからない。
そしてアリアは……アリアはその場に小さくくず折れる。
「アリア!?」
慌ててアリアを抱きとめる。
その体を、脇腹の辺りで支えた手に、ぬるりと生暖かい感触があった。
「……え?」
体勢不十分のそのまま、ユナンはぺたんと尻餅をつく格好になった。
そして、床に徐々に広がっていく黒い水溜り。
ステンドグラスから漏れ入る月明かりを反射して、赤黒く光る。
「アリアっ!」
「ちっ!やり損なったか」
言って吐き捨てただみ声は誰のものか。
ユナンは慌てて暗がりに目を凝らす。
すると。
そこには幾人かの村の男達がいて、
うち一人が月明かりにぬらりと赤く光るナイフを手にしていた。
「ユナン君……すまない。だが村を守るためにはこうするしかなかったんだ……」
そう言ったのは、地下牢の鍵を渡してくれた神父だった。
ユナンには状況がはっきりと分かった。
恐らく、自分とアリアはまたも村人達の罠にはまったのだ。
それも、神父は助けるふりまでして。
そして、村人は今度はユナンを殺そうとした。
しかしアリアは礼拝堂の異変に気付き、そしてユナンを庇ってその身でナイフを受けたのだ。
「くっ……」
自分達を囲んでいる男の人数は5人。突破できなくもなかった。
但し一人であれば。
しかしアリアは今は床に横たわっている。
意識があるのか微かに動くが、それ以上はできないようだった。
ユナンは自分でも驚くほど冷静に事態を見つめた。
そして男達を睨み付けながらも計略を巡らせるが、どれも実行に移せそうなものはなかった。
――くそっ……どうすれば……!
その時。
突如礼拝堂に響いたのは乾いた銃声だった。
全員の視線が銃声のした方向、入り口の扉の方へと向けられた。
「父さん!!」
入り口の半開きになった扉の側に立っていたのは、狩猟用の散弾銃を抱えたエドワードだった。
「エドワード!」
「近付くな!」
思わず一歩エドワードの方へ近付いた男に、エドワードは銃を向け、そう制した。
「僕にも、その子達にも、近付くな」
いつもの優しい少し頼りないエドワードとは違い、険しい表情、強い口調だった。
「父さん……」
「ユナン!早く!」
そう言って銃を構えたまま、扉を背中で押し開く。
「エドワード!何を考えている!」
男達の一人から怒りの声が上がるが、エドワードは取り合わない。
ユナンは力ないアリアを抱え、それでも何とか支えて扉の方へ向かった。
エドワードと男達は、緊張した視線を交わし続ける。
扉の所ですれ違いざまに、ユナンは父の顔を見つめる。
エドワードは男達から視線を外さぬまま、ユナンにだけ聞こえる声でぼそりとこう言った。
「二つ隣の町へ行く森の途中に、誰もいない教会がある」
そう言った顔をユナンは暫く見つめ、
そしてゆっくりと、しっかりと前を向き、アリアを抱え歩き始めた。




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