対話

次に目を開けた時、ユナンは二階にある自室のベッドの上にいた。
よほど酷く殴られたのか、後ろ頭にまだ鈍痛が残っている。
窓から見える景色にはもう、夜の帳が降りていた。
今朝起こった出来事が、瞬間的に頭を走りぬける。
――現実なのか……?
夢だとしたら、あまりに出来の悪い夢だ。
多少ふらつきながらも二階からの階段を降り、一階の客間へ足を運ぶ。
そこに、小さなテーブルの向こうで俯いているエドワードがいた。
エマはどうやら夕食の準備をしているらしく、シチューの良い匂いが客間まで届いていた。
「父さん……」
そう静かに声をかけると、エドワードははっとして顔を上げ、ユナンの方を見た。
「ユナン!もう……大丈夫なのか?」
言わば自分とアリアを陥れた張本人であろう父の口から出た言葉は、
ユナンを心配するものだった。
そしてその言葉は、自分とアリアの身に起こった事が真実だと証明していた。
「……アリアはどこだ、父さん」
「ユナン、まあ落ち着きなさい。座って」
問い詰めようとするユナンに対して、エドワードは妙に落ち着き払ってそう言い、
自分の隣の席につくようユナンに勧める。
「父さん、今はそれどころじゃあないんだ」
父の言葉は受け入れず立ったまま、静かに、
しかし焦る思いを隠しきれずに言葉に乗せるユナン。
「そのアリアの事で、話がある」
そう言った父の瞳は、真っ直ぐユナンを見つめていた。
エドワードがこういう目をする時は、
いつだって心から真剣な話をする時だという事をユナンは知っていた。
尚も視線を交わしたまま、ユナンはゆっくりとエドワードの隣へ座った。
暫しの沈黙。
やがて、エドワードがゆっくりと口を開いた。
「アリアの事を、ユナンはどれだけ知っているのかな?」
それはどういう意味だろう?
エドワードは、自分の方がアリアを昔から知っていて、詳しいとでも言い出すのだろうか?
暫くあって、ユナンは置いてあるテーブルに視線を落とし、一言ぽつりと言った。
「……吸血鬼だ、って……」
「ふむ……」
エドワード一つ頷くと、今度はこうきいた。
「じゃあ、何故僕らがその吸血鬼を遠ざけるか、分かるかい?」
ユナンは黙ったまま、テーブルを見つめ続けた。
「それはね、吸血鬼は、アリアは僕ら村人――人間を彼らの仲間に、
 吸血鬼にしてしまうからなんだ。
 彼らは、彼ら自身の血を人に与える事で、僕らを仲間にできる」
依然ユナンに真っ直ぐな視線を送ったまま、エドワードは続ける。
「昔アリアに出会った時、僕はその血を飲む事を志願したんだ」
ユナンの視線は弾かれエドワードの方を見る。
――それはつまり……
ユナンの心の疑問を察したかのように、エドワードはやや苦笑して話を続ける。
「そう、僕はあの時、吸血鬼になってアリアと共にいる事を願ったんだ」
ユナンは尚も無言のまま、目を見開いてエドワードを見つめた。
ふうっと一つ大きな息を吐いて、エドワードはややユナンから体を逸らす形に向き直り、
それから優しいとも悲しいともとれる笑みでユナンの方を見て、こうきいた。
「ユナン、吸血鬼になると、具体的に何がどうなると思う?」
エドワードはユナンの答えを待たずに続ける。
「吸血鬼は、人の十倍二十倍もの長い時を生きる。
 そして成人してからは、外見上は全く年をとらない。
 アリアもああ見えて、三百歳は超えてるんだよ」
「……アリアからそう聞いた」
ユナンはそう短く答えた。
エドワードは今度は二度頷くと、話を先に進めた。
「そして一番の特徴は……人の生血を吸って生きる事」
真っ直ぐ見つめるエドワードの視線に、ユナンは何故かそれを逸らして俯いた。
そして吐き捨てるように言った。
「だからって魔物扱いかよ」
その様子を見て、しかしエドワードは取り乱さず、寧ろ静かにこう言う。
「違うよ」
違う?
どう違うと言うのだろうか?
ユナンはゆっくりエドワードの方に視線を送り、次の言葉を待つ。
「”人”が生きる糧では、困るんだよ」
「困るって?自分達が?俺ら人間だって、
 何かを糧にしていかなきゃ生きていけないじゃないか!
 それを吸血鬼一族の糧が人間だからって……!」
「違うんだよユナン!」
爆発するように反論したユナンに対し、エドワードもいささか口調を強くした。
「人の身を糧にして生きるという事が、どういうことか分からないかい?
 自分の身の周りの人間全てを、糧にしていかないと生きていけないんだ。
 そしてそれが村全体に広まれば、村人同士で生血を奪い合い、いずれはこの村が消滅する。
 アリアの……アリアの一族のように……」
その言葉にユナンは固まった。
――今、なんて……?
「アリアの一族は、もうアリアしか残っていないんだよ。
 気が遠くなるほどの昔は、それなりの数がいたらしいけど、
 それも血と血の争いで皆息絶えた。」
ユナンは身動きが出来なかった。
アリアは、一人……?
「悲しいけど、それが現実なんだ。
 僕ら人間は、生き物との共存の道を選んでこうやって生き残っている。
 けれど彼らは、愛する者すら糧にする術しか持たないんだ。
 そしてやがては、自滅していく……」
堅く重苦しい空気が淀んでいる。
「でも……けどじゃあアリアはどうやって生きてるんだ……?」
もう何がなんだか分からない。疑問だけが口を突いて出た。
「分からない。けれどネズミなどの獣や家畜の血でも、生き永らえる事はできると聞いたよ」
ユナンは出る言葉もなかった。全身がはっきりと冷たくなっていく。
体が震えるのは、恐怖ではなく、怒り?悲しみ?
様々な感情が混ざり合い、ユナンの思考を支配した。
「その事――自滅の話はアリアから聞かされたよ。
 そして……僕はアリアではなく村を守る事にしたんだ」
エドワードのその言葉は詭弁だと思ったが、それを口に出すどころではなかった。
心が、痛かった。
張り裂けんばかりのいっぱいの感情で。
アリアは独りだった。
ずうっとずうっと長い時間、気が遠くなるほどの長い時を、独りで生きてきた。
それも、ネズミや獣の血を糧にしながら。
どんな思いだったのだろう。
どれだけの孤独と痛みを味わったのだろう。
「俺なら、絶対アリアを独りにはしない」
やっとの事で搾り出した言葉は、ユナンの真の思いを表していた。
エドワードは目を閉じ、そして一呼吸置いて、こう言った。
「覚悟は、できているのか?」
こくりと、深く一つ頷くユナン。
視線は相変わらず伏せたままだが、その瞳には強い意志の光が見て取れた。
エドワードはそこからゆっくりと立ち上がり、ユナンに背を向ける。
そして――
「アリアは村の教会の地下牢にいる」
ユナンははっとエドワードの方を見た。
「神父さんに話を通してある。行くのなら、今だよ。みんな夕食の時間で出払ってる」
父の思わぬ言葉に、どう反応して良いのか迷うユナン。
エドワードは背中を向けたまま、小さくこう言った。
「お前には、諦めてほしくないから……」
そう言って自室の方へ消えていった。
「父さん……」
父も、辛かったのだろうか。
一度"仲間”になると決意までしたのだから、それ相応の覚悟だったに違いない。
それを覆すほどの、村への思いがあったのだろうか?
ユナンは静かに家から滑り出し、夜の闇風を切って教会へ走った。



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