対峙

村の中へ入ると、不思議と人通りはなかった。
いつもの平日この時間なら、道端には露店が立ち並び、
この辺りでとれた野菜や果物を売り歩く少年、
タバコを燻らし油を売る商人などがいるはずなのに。
「どうしたんだろう?今日は人が少ないな」
ユナンは、そうぼそっと呟いた。
「え?」
前を行くユナンの声が聞き取れなくて、アリアは問い返す。
が、ユナンはすぐ「何でもない」と小さく答えた。

間もなく、村の通りの小さな花屋が見えてきた。
考えてみれば、昨日あのまま家を飛び出したままだった。
父さんと母さんは心配してるだろうか?
いや、何も言わないまま一晩家を空けたのだから、怒られるかもしれない。
そんな事がふと頭を過ぎるが、今はそれよりも大事な事がある。
アリアの誤解を解くこと、自分とアリアの事、
それを今から両親に説明し、説得しなければならない。
その後は村長、それから村のみんなだ。
百パーセントの理解を得るのは難しいだろうが、
実際みんなアリアに会えば、何も危険などないと分かるはずだから。
「ここだよ、アリア」
言って花屋――自分の家の前で止まる。
振り返って見たアリアの顔は、こわばっていた。
無理もないのかもしれない。
でも、これからのアリアの幸せを考えると、この負担は小さいものになるはずだった。
何も言わないアリアに、ユナンは意を決して店の奥に声をかけた。
「父さーん、母さーん、ただいま!」
 …………
暫し待ったが、返答はなかった。
「あれ?いないのかなあ……」
もう暫く待ってみるが、春の風が一陣吹き抜けただけだった。
そしてユナンが次の声を上げようとした時、思わぬ方向から声がかかった。
「約束と違いますな、アーゼンフォード卿」
そう言った低い声の主、その視線はユナンではなく、アリアに向けられていた。
何故かそこには村長が立っていたのだ。
その視線には、敵意だけではない、憎しみそのものがこもっているように見えた。
「村長……」
言って驚いた表情をしたのは、ユナンではなくアリアだった。これにはユナンが驚く。
「アリア……?村長を知ってるのかい?」
しかしアリアは黙ったまま俯いただけだった。
「村長……?」
ユナンはただ、村長とアリアを交互に見渡す事しかできない。

そして。

そう幅もない道に、建物の陰という陰から村人が姿を現す。
群れ群れる群衆のその雰囲気たるや、多数の意思が寄り固まって一つの方向を指していた。
即ち、憎悪。
「何なんだ皆して!?」
言ったユナンの体は、無意識にアリアを背にかばう格好になった。
それほどまでに群れる悪意。
ユナンは店を背にして、ただアリアをかばいながら村長を睨み付ける事しかできなかった。
そして今度は後ろ――店の中から声がした。
「ユナン!」
振り向くと、そこには父と母の姿があった。
心配そうな顔の二人。アリアも思わず二人の方を向き……
そして目を見開きこう呟く。
「エドワード……」
「え……?」
アリアの一言にまた驚くユナン。
「アリア、父さんを……知ってるのか?」
アリアはその言葉に弾かれるようにユナンの方を見る。
その顔は蒼白で、飛び出しそうな何かを抑えるかのように口元に手を当てている。
ややあって、口を開いたのは村長だった。
「どうやら、アーゼンフォードの娘は、お前には何も話してなかったようだな」
そう言って今度はユナンの方を見た。
しかしユナンは動じず答える。
「知ってるよ。アリアが吸血鬼の末裔だって事だろ?
 村長も村の皆も、父さんも母さんもそれが怖かったんだ!」
「ユナン……」
母親のエマが声をかける。吸血鬼の単語に、群集も反応してざわついた。
尚も続けて村長が言う。
「そうか……なら、その娘とその一族が、この村の若者をたぶらかし、
 村全体を陥れようとした事は知っておるかな?」
「……信じない」
ユナンはそう短く言う。それが今できる精一杯の否定だった。
しかしそれを嘲笑うかのように村長は更に続けた。
「ならば、その相手がお前の父、エドワードだという事は?
 ユナン、お前はその娘が自分を好いたと思うておるかもしれんが、それは違う。
 その娘はかつてのエドワードの面影をお前に重ね……」
「村長!!」
悲鳴に近い声で叫んで、その男の言葉をさえぎったのはアリアだった。
悲しくもその叫びは、村長の言った事を肯定していた。
ユナンは咄嗟に父エドワードの方を見たが、その視線は伏せられ拒否された。
今度こそ言葉を失うユナン。
アリアは手で顔を覆って、その場にしゃがみ込んでしまった。
それを見て、村長はまた言葉を続ける。
「これで分かっただろうユナン。お前は、騙されておるんだよ。
 その娘、見た目は若かろうが実際は三百年をゆうに生きておる。
 昔、この村ごと吸血鬼の村にせんとした輩じゃ。エドワードを使ってな。
 そして今、今度は息子のお前を使ってまた同じ事をしようとしておる」
ユナンは最早何を考えていいのか分からなかった。
村長の言う事が全て本当だとは思わない。
しかし、アリアが村長と父を知っていたからには、
過去に何らかの接触があったと考えるべきだった。
けれどなら、その接触する機会となった出来事は……
「そしてアーゼンフォード卿よ」
言って村長は今度はアリアの方を向いて言う。
「さっきも言ったが、約束が違うのではないか?」
約束――初めに村長がそう言っていた。何の事か。
「”あの時”わしはお前がもう絶対にこの村に近付かぬと約束すると言うから、逃がした。
 村の者とも一切関係を絶つと。しかしこれは何だ?説明してもらおうか」
そう言った村長の言葉に、取り巻きの群衆の殺気が揺れる。
「この囲いじゃ。そうそうは逃げられんぞ」
最後にそう一言付け加えた。
――そのためか――
ユナンは、村に入った時の人通りのなさは、ここに人を集めていたからなのだと理解した。
こうやって物陰に人を隠して、そしてユナンがアリアを連れてくるのを待っていたのだ。
父も母も、本当は心配などしていなくて、村長に事の次第を報告し、この包囲網を作らせた。
そう考えると、一気に頭に血が上る。
「父さん……!母さん……!」
そう言って、憎しみの眼差しを両親へ向けた。
「待って、ユナン」
そんなユナンを遮ったのは他の誰でもない、アリアの静かな声だった。
「アリア……」
はっとしてアリアの方を向く。
すると、アリアはさっきのように取り乱した様子はなく、しっかりとこちらを見つめていた。
そして村長の方に顔を向け、こう言った。
「村長、約束を違えたからには、それ相応の罰は受けます。
 でもその前に……エドワードと話をさせて下さい」
「アリア!?」
これにはユナンが意義をとなえた。
罰?
たかが自分と接触しただけで、一体どんな仕打ちを受けるのか。
そもそもアリアは罪など犯したのだろうか?そしてここへ来ての父との話……
ユナンは更に混乱を深めた。
「ユナン……ごめんなさい、でももうこれで最後だから……」
そう言って、エドワードに視線を移す。
その表情には、何か決意が見て取れたが、
それが一体どのような決意なのかまでは推し量れなかった。
「中で……話そうか」
エドワードはそう言うと、家の中にアリアを招き入れた。
アリアが扉の中へ消え、エドワードが扉を閉めようとした時、
「エドワード、まさか庇いはしまいな?同じ過ちを犯すなよ」
そう釘を刺したのは、濁った眼をした村長だった。
「……もう、村にはこれ以上迷惑はかけないつもりです……」
視線を落としてエドワードはそうとだけ言って扉を閉めた。




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