アリア

暗闇の中、村から離れ、夜の森を駆け抜ける。
幸い今日は満月。明るいとは言わないが、
森に付いた小道を探し出すには、十分な明るさだった。
途中、草や木々が顔や手を小さく切ることがあったが、ユナンは気にしない。
そして辿り着いたのは……月明かりに照らされ、
それでもなお闇よりも暗い闇をたたえて佇む、アーゼンフォード邸。
息も切れ切れにユナンは扉の前に立ち、力強く扉を叩いた。
暫くして、扉の奥から細い声が聞こえる。
「どなたですか?このような時間に」
「俺だよアリア!さっきはごめん……君に話があるんだ!」
「ユナン……」
扉越しの会話だから、今アリアがどんな表情をしているかは分からなかったが、
少なくとも笑顔ではなさそうな声で答えた。
「ごめんなさい……帰ってくれないかしら」
重い扉は開かない。
「アリア……聞いてくれ。今日村長がうちに来て、アリアの事を言われたよ。
 やっぱりみんな分かってないんだ。父さんも、母さんも。
 だからそれを、アリアは何も悪くないって事を、みんなに分からせたいんだ!」
暫しの間落ちる沈黙。
そしてややあってから、重く軋む音とともに、扉が開いた。
月明かりのもとに、アリアの姿が青白く映し出される。
その顔に、表情はない。
「アリア……」
「入って」
そっと中へ誘導するように、アリアは半身を開いて静かに言った。

 客間へ案内され、窓際にあるソファーに向かい合わせになる形で二人は座る。
窓越しに部屋へ入ってくる月の光。
この明るさでは良く分からないが、雰囲気からして長い間使われていなかったようだ。
花瓶のシルエットが見えるが、花が生けられている様子はない。
アリアは火を灯そうともせず、黙ってユナンを見つめる。
そしてユナンは静かに切り出した。
「アリア、今日の事は、ごめん。俺が無神経だった」
「いいえ、いいの。あなたのせいじゃないわ」
そう言って少し視線を落とす。アリアを真っ直ぐ見つめユナンは言う。
「さっき話した事だけど、俺、村の連中は本当に間違ってると思うんだ」
「……」
尚も黙ったままのアリア。
ユナンは続けた。
「みんなアリアの事を知らないだけで、本当の事が分かれば、
 あんな変な風習なんて消えると思うんだ」
「……本当の事……?」
アリアは少し顔を上げて、そっとユナンの方を見た。
「そうだよ。アリアは魔物なんかじゃない、普通の女の子だって事」
静かにユナンを見つめるアリア。
「アリア、俺、アリアの事好きだよ。今日の事だって、俺真剣だから」
優しく微笑んでユナンはそう言った。
ややあって、アリアが口を開く。
「……あなたは、本当の事を知っているの?」
「え……」
突然の言葉にユナンは戸惑った。しかし、すぐにしっかりとこう言った。
「そりゃあアリアの事を全部知ってるわけじゃあないけど、
 でもアリアは魔物なんかじゃなくて普通の女の子だし、何より俺はアリアを愛してる」
「ユナン……」
ユナンの言葉に、アリアのその瞳から大粒の涙が零れる。
それは月の光に照らされ、きらきらと輝いていた。
「アリア……」
名前を呼びアリアの方に近付き、優しく肩を抱くユナン。
「……ごめんなさい……ごめんなさいユナン……」
そう言って手で顔を覆い涙を流すアリア。
「アリア、どうしたんだ?どうして泣くんだ?」
「私には、あなたに愛される資格なんてないもの……」
涙で声が震えている。
「アリア……大丈夫だよ。そんな資格なんていらない。
 そんな資格がなくても、俺はアリアの事を愛してるから……」
そう優しく言う。
しかし。
「……違うの……」
かぶりを振るアリア。そして少ししっかりした声で、
「私、あなたにまだ話してない事があるの」
アリアはそう言った。
「話してない事?」
「村の人達の言う通りよ」
何が言う通りなのだろうか。
「私……私は、醜い化け物なの」
一瞬言葉が飲み込めない。
それは、どういう事だろう?
「ユナン、吸血鬼って知ってる?」
幼い頃に聞いた事がある。
強力な力を持ち、人の血を食い物にする恐ろしい化け物――文字通り『鬼』であると。
その吸血鬼がどうしたと言うのだろうか?
一呼吸置いてアリアが言う。
「私は、その吸血鬼の血を引いているわ」
まさか。アリアが?
「で……でもアリアは普通の女の子じゃないか」
やっとの思いで言葉をつなぐ。
アリアを見る限り、普通の女の子だった。そんな、化け物に結びつくような印象は欠片もない。
「本当なの、ユナン」
アリアはそう言って、しっかりとした、けれど悲しそうな目でユナンを見つめた。
言葉が出ないユナン。
「私はね、人の血を啜らなければ生きていけない醜い化け物なのよ」
そして悪戯っぽく笑って続ける。
「こう見えても私、三百歳のおばあちゃんなんだから。だから……」
咄嗟だった。
笑顔とは裏腹に、あまりに辛そうにするアリアを見ていられなくなり、
アリアを強く抱き寄せた。
しかし。
「離して!」
そう言ったアリアに強く突き放される。
「アリア……」
「まだ分からないの!?私は……私は人間じゃないの!」
「……」
アリアをただ見つめる事しかできないユナン。
次の瞬間アリアは立ち上がり、そして近くにあったガラスの花瓶を手に取った。
「アリア?」
いぶかしむ間もなくアリアはその花瓶を、こともあろうに片手で握り砕く。
乾いたガラスの音とともに、月の光を反射してきらきらと輝くガラス片。
目を見開くユナン。
そして、そのユナンの目に入ってきたのは、暗闇で真紅に輝く一対の瞳。
普段は吸い込まれそうなほど深い緑色の瞳が、今は血の色に等しい赤色に輝いていた。
「アリア……」
呆然とするユナン。
「これで分かったかしら?私は化け物なのよ!
 いつかあなたの血を吸い尽くして殺してしまうわ!」
見た事がない険しい表情。その紅く光る両の瞳からは、一筋の涙が零れ出ていた。
瞳の光を反映して、涙のその筋も紅く光っているように見える。
その様子は、さながら血の涙。
「アリア!」
それでもユナンは再びアリアを強く抱き寄せる。
この気持ちをどう伝えればいいのか分からない。
しかし涙を流すアリアを放ってはおけなかった。
そして今、その力を目の前にして尚アリアは痛々しく、また愛おしい。
「……!」
その行動に驚いて言葉が出ないアリア。
「アリア、愛してる」
そう告げる。
例えアリアがどうであれ、それは偽りのないユナンの気持ちだった。
その言葉を聞いて、はっとするアリア。
優しい声でユナンが言う。
「アリアは俺の事嫌い?」
目を閉じたアリアの瞳から、更に雫が零れ落ちる。
そしてそっとかぶりを振り、そのまま抱かれている肩に顔を埋めた。
そうやって、アリアは暫く子供のように泣きじゃくっていた。




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