異変

その日、アリアは待っていた。
こんなに心待ちにしている事が、自分でも意外だった。
少しそわそわしながら、約束の時間を待つ。
そして、玄関ホールの扉をノックする鈍い音が響いた。
「いらっしゃい」
アリアは重く軋む扉を開け、心からのできるだけの笑みを浮かべてユナンを向かえた。
そして目を丸くする。
その視線の先には、両手いっぱいに食材を抱えたユナンが立っていた。
「それ……」
「やっほ。これが今日のお楽しみ!」
言って荷物を抱え屋敷の中に入ってきた。迷わず早足で給仕場へ進むユナン。
アリアは慌てて小走りで後を着いて行く。
「あの、ユナン?それ……どうするの?」
キャロットにラディッシュ、ポテトにオニオン、ラム肉もある。
加えてバターや香辛料、小麦粉に卵…
料理を自分でしなくなってから、こんなに沢山の食材は見た事がない。
「ん?」
ユナンは逆に不思議そうにアリアを見た。そして楽しそうに笑顔で言う。
「何って、料理するんだよ、料理!」
そう言って給仕場でポテトを洗い始めた。
「料理って……でも私……」
いきなり料理と言われて戸惑うアリア。
「大丈夫!俺が母さんに、シチューの作り方教わってきたから!」
ユナンは自信たっぷりに言った。
「たまには二人で食事っていうのも、悪くないだろ?」
言って、優しい笑みを浮かる。
アリアは驚きと嬉しさとで胸が破裂するかと思った。
 ――こんな気持ちはどれくらいぶりだろう……
そして、目の前にある食材を手にとって、笑顔でアリアは言う。
「私も手伝うわ」

かくして二人の作業は始まった。
まず野菜を洗い、土を落とす。それから皮をむき、細かくきざむのだが……
ユナンは皮むきで苦戦していた。何しろ扱いなれない料理用のナイフだ。
それに、こんな料理らしい料理なんて此の方したことがない。
ポテトの皮を不器用にむいている……
と言うか表面を削っているに等しいユナンの様子を見て、アリアが心配そうな声を上げた。
「……あの、ユナン?大丈夫?」
「え?あ、ああ、うん。だいじょう……いてっ」
予想が的中した。
アリアの声に思わず横を向いて余所見をした瞬間、ユナンはナイフで指を切っていた。
傷はそんなに深くはないようだが、指先を切ったらしい、赤い鮮血が流れ出す。
  ――ドクン――
「いてーっ、切れたっ」
ナイフである。切れないものは役に立たない。
ユナンが血の流れる指を目の前に掲げたその時、突如アリアは口を押さえ、うずくまった。
「アリア?」
そう言って彼女の顔を覗き見る。
「どうした?大丈夫か?」
  ――ドクン――
「……ごめんなさい……血が……苦手で……」
跳ねる鼓動、胸が焼ける感覚。
「あ!ごめん!」
ユナンは慌ててその辺にあった布で、指をぐるぐる巻きにした。
うずくまるアリアの方を抱え、椅子のある場所へと連れて行った。
椅子に座るとアリアは少し落ち着いたらしく、ユナンを気遣う。
「ごめんなさい……大丈夫?」
それに対してユナンは元気いっぱいに答えた。
「オレは全然へーき!このくらいぺっぺけぺーのぺいさ!」
そう言ってにっと笑い、布の巻かれた指をぴこぴこさせた。
それを見たアリアは穏やかに微笑む。
その穏やかさにつられ、ユナンも優しく微笑んだ。
ユナンがゆっくりと、アリアの頬に手を伸ばす。
ほんのり温かい手。
ゆっくりと。
お互いの唇を重ね合わせた。
そして離さないように、離れないようにお互いをきつく抱きしめる。
お互いの肌の温もりが、ただただ愛おしくて仕方がなかった。
 ――これほどまでに愛おしい人が目の前にいる事実――
その永遠とも一瞬とも取れる時間のあと、アリアはゆっくりと口を開いた。
「……ごめんなさいユナン」
「……うん……?」
アリアは静かに言った。
「今日はもう帰ってほしいの」
その意外な一言に、ユナンは言葉が出なかった。
「ごめんなさい……」
アリアはそう言って俯き、そっとユナンから離れた。




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