真実

どのくらい歩いただろう。
そこは村から少し離れた、もう充分に森の中と言って良い場所だった。
そこに、その屋敷は黒く佇んでいた。
広さはそれほどでもないものの、そのボリュームには圧倒されるものがあった。
石造りの壁に大きな木の扉。扉には金具で装飾が施されていたが、
その金具のくすみ具合が年代を感じさせていた
「……ここって……」
その大きな屋敷の目の前に、二人は立っていた。
正確には、ユナンはまだアリアを背に抱えたままだが。

「ここが私の家よ」
ユナンにそっと降ろしてもらい、やっと地に足をつけながらアリアが言う。
「……でもここ……」
ユナンは何か歯切れが悪そうに、次の言葉を口に出す事を躊躇した。
「そう、奇人の館よ」
そう続けたのは、アリア自身だった。
ユナンはアリアの方をちらりと見た。

アリアが案内したその館は、町の人の間で『奇人の館』と呼ばれ、恐れられている場所だった。
子供ならず大人までも『幽霊屋敷』のような感覚で嫌っていたし、
大人は子供に、その館に近付かないように言い聞かせるのがこの村の風習となっていた。
となると、この町に住んでいるアリアも当然この事は知っているはずだが……
「知ってるんだ?」
恐る恐る尋ねてみるユナン。
「村の人はそう呼ぶみたいね」
対照的にさっぱりと、あまり興味がなさそうにアリアは答えた。
「でもここ……」
ユナンの口から出たのは、またも「でもここ」。
言ったユナンも一瞬はっとし、それ以上は言えなかった。
「入るのをやめる?」
ユナンを見上げてアリアは言った。
「えっ!あっいや、えっと、違うんだ!ただの噂で…」
慌てて言い繕うその横で、突然アリアがふらりと倒れそうになる。
「アリア!」
ユナンは慌ててアリアを抱きとめた。こんな所で町の噂を気にしていても仕方がない。
「とにかく中へ入ろう」
腹をくくったユナンは、しっかりとした声で言い、
アリアの肩を抱いて屋敷の方へと歩き出した。

屋敷の中は、外観までの重厚な印象はなかったが、
それでもどこか古さ特有の雰囲気が漂っていた。
中に入ると、アリアが部屋を教えてくれる。
彼女の部屋はロビーから二階への階段を上って左側にあった。
アリアをベッドに寝かせ、給仕場の場所を聞き、飲み水を汲みに行く。
給仕場は一階の奥にあった。
結構な広さだ。どちらかと言うと一般人のユナンには、少し珍しい程の広さの給仕場だった。
給仕の人か誰かいるのだろうと思ったのだが……予想を外して誰もいなかった。
それどころか、何故か殺風景な印象を受ける。何しろこの屋敷の広さだ。
一人で住むには充分過ぎるし、他に人がいない方がおかしいのだが……。
給仕場の詮索は程々にして、取りあえずそこから飲み水をアリアの部屋へ持って行く。
「はい、お水」
「ありがとう」
水を受け取り一口すするアリア。
「家の人は?」
ユナンは素直にアリアに尋ねた。
「いないわ」
アリアは一言、短くそう答えた。
「仕事か何かかな」
ユナンに取っては、何気ない質問のつもりだった。
しかし返ってきた答えは
「いえ、私一人で暮らしてるの」
ユナンは驚いて、もう一度聞き返した。
「え……一人?」
「ええ」
言ってアリアは水をもう一口すする。
ユナンにとっては重い沈黙が落ちる。
暫くしてアリアが口を開いた。
「父と母は私が生まれてすぐ亡くなったし、
 育ててくれた祖父母も数年前に他界したし……」
「……ごめん。知らなかった……」
「いいの。私が話さなかっただけだから」
謝ったユナンに、嫌な顔一つせずアリアは答えた。
そしてまた暫くの間沈黙が落ちた。
屋敷の窓の外、庭には沢山の花が植えられていた。
季節柄丁度花の多い時期ではあるものの、それを差し引いても数・種類ともに豊富だった。
色々な色に彩られた庭は、春の風にそよいでいる。
日差しは暖かそうではあるが、ここが森の中という事もあってか吹く風はいささか冷たい。
そんな外の光景に目をやっていたユナンは、アリアの方に視線を戻し尋ねた。
「そう言えば、買い置きの薬とかある?」
「いいえ……薬はいいわ。病気じゃないもの……」
意外な答えが返ってきた。
「病気じゃない?」
ユナンは暫く考え……
「えーっとー……」
何やら言いかけると、アリアはぽつりと、
「気にしないで」
そうとだけ言った。
「そっか……」
言ってユナンは少し考えてから、
「何か食べなきゃな。調理室使うね」
そう言って一階へ降りていった。

暫くしてユナンは、パンのミルク煮を作って持ってきた。
料理自体はしたことのないユナンだが、
自分が風邪を引いた時などに母が作ってくれるこれだけは、作り方を覚えていた。
それを一口するアリア。
微かにアリアが眉をひそめたのが、ユナンは気になった。
「ひょっとして……美味しくない?」
 心配そうにそう尋ねるユナン。
 するとアリアは慌てて返事をした。
「えっ、違うの。美味しいわ……」
「そっか?へへっ、よかった!」
ユナンは得意そうに、にっと笑った。そして視線はそのままアリアに固定される。
暫くスプーンとお皿の触れる音が響き……
アリアは手を止めて、言い難そうに少し遠慮がちに言った。
「……あの……ユナン?」
「ん?」
きょとんとするユナン。
「そんなに見つめられると、食べにくいのだけれど…」
言ってアリアは苦笑を浮かべる。
ユナンはさっきからずっと、穴が開きそうなほどアリアを見つめていた。
「あ!ごめん!」
そう言った声が、予想外に大きかった。
アリアもびっくりしたが、ユナンもびっくりした。
そして、アリアは少し控えめに笑った。
それを見てユナンも笑う。
二人だけの、穏やかな時が過ぎていった。

「少し寝るわ」
ミルク煮を食べ終えて、アリアはそう言ってベッドに横になった。
「うん。じゃあオレはー……」
言いかけた言葉の最後を探して目が泳ぎ、何故かアリアと目が合ったまま止まった。
その視線を伏せて、恥ずかしそうにアリアは言った。
「ユナン……その、迷惑でなければ暫く傍に……」
「あ……ああ、うん、そうだな……」
そう言ったユナンも、少し恥ずかしそうにした。
ベッドの傍に椅子を持ってきて、そこに座る。
穏やかな顔で二人は微笑んだ。
 この人の傍にいる事が、いつの間にこんなに心地よくなったんだろう…。
出逢って初めて全身で呼吸ができたように感じた。
 ユナンはそっと、アリアの手に自分の手を重ねた。
安心したようにアリアは眼を閉じ、やがて間も無く静かな寝息を立て始める。
その穏やかな寝顔に、ユナンは静かに微笑んだ。
外は、柔らかな日差しが降り注いでいた。



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